ロッキード・スカンクワークス,米国空軍,CIA 契約業者
ドン・フィリップス氏の証言
2000 年12 月

ドン・フィリップスは,UFO がラスベガスの北西,チャールストン山の近くを猛スピードで移動しているのが目撃されたとき,ラスベガス空軍基地に勤務していた。また,ケリー・ジョンソンと共にロッキード・スカンクワークスで働き,U-2 およびSR-71 ブラックバードの設計と建造にあたった。彼は次のように証言する。我々はこれらの地球外起源の装置を持っているのみならず,それらの研究から途方もない技術上の進歩を成し遂げた。

1950 年代と1960 年代にNATO(北大西洋条約機構)はET 種族の起源に関する調査を行ない,様々な国の指導者たちにその報告書を送った。フィリップス氏はさらに,1954 年にカリフォルニアで行なわれたET と米国指導者の会談に関する記録と映像資料があると述べる。

彼はET のおかげで開発が可能になった技術の幾つかを挙げる:コンピューターチップ,レーザー,暗視技術,防弾チョッキ。そしてこう結論する。“これらのET に敵意はあるか? もし彼らに敵意があったなら,とうの昔に我々を破壊していたか,何らかの損害を与えていただろう”フィリップス氏は今,環境汚染を除去し,化石燃料への依存を減らすことのできる技術を開発している:地球から取り出せる自然エネルギーを使うエネルギー発生システムだ。

DP:ドン・フィリップス氏/ SG:スティーブン・グリア博士
DP:私の名前はドン・フィリップスだ。私はカリフォルニア州ロサンゼルスに住んでいる。これまで政府機関で働いてきたが,その時々に応じて軍関係者または民間人として軍にもいた。未確認飛行物体と呼ばれる現象だが,確かに私はそれを経験した。

私が19 歳か20 歳の頃の話から始めよう。私は高校を卒業して大学に入ったが,同時にロッキード航空会社でも働き始めた。私は建造や設計といった通常の職場に1 年間雇われた後で,こう訊かれた。新プロジェクトのために準備された新しい部署に行く気はないか? もちろん,私は行くと答えた。それが何なのかはよく分からなかったが,自分にとっては最良の選択に思えたのだ。

私が学んでいたのは設計,工学,機械,電気,航空関連の分野だった。また,当時私は自家用パイロットだった。今でもそうだ。こうして私は―1961 年か1962 年だったと思う―新しい仕事に就いた。それがロッキード・スカンクワークスだ。スカンクワークスでは様々な部門を経験させられた―仕入れ,調査,技術などだ。私は1960 年代にこれらのすべての部門で働いた。これは1965 年まで続いた。
我々のプロジェクトは,言うまでもなく,米国政府のために特別な航空機を開発することだった。政府の別の機関からはパイロットたちがやってきた。私は軍に入るためにスカンクワークスを辞めたが,そのときこう思ったのを覚えている。国のために働いたら,またここに戻ってきたい。

私は1965 年に初めて軍に入り,ネバダ州ラスベガスの近くに配属された。そして任地の幾つかが,我々が航空機の試験を行なっていた地区にとても近いことを知った。一般にエリア51 の名で知られる地区だ。
我々はその地区をドリームランド(夢の国),ホッグファーム(養豚場),レイク(湖)などと呼んでいた。私が知るその地区の特徴は,高い機密性だ。そこで行なわれていることについて,私はスカンクワークスの同部門の人々からいろいろなことを聞かされていた。我々はそこで航空機を試験している。それがブラックバードといった特別な航空機であることは誰もが知っている。ブラックバードは私の誇りだ。なぜなら,私が手掛けたものだからだ。それは今日でもまだ破られていない世界記録を幾つか持っている。

さて,その地区で軍は何をしていたか。我々はそこにネリス空軍基地のレーダーサイトを持っていた。現在,ネリス空軍基地は米国軍の飛行試験とパイロットの訓練を行なう基地になっている。ラスベガスの北,射爆場の北東端にあるのが,我々がエリア51 と呼ぶ地区だ。そして,ラスベガスから北に延びる高速道路を横切った所に,エンジェルスピークと呼ばれるレーダーサイトがある(* 現在は放棄されている)。エンジェルスピークはエリア51 を監視するためのものだったが,その北西にある原子力委員会の試験場など,その他の多くの地区をも探知範囲に収めていた。

だから,エンジェルスピークは秘密のレーダー施設だった。我々が知っている多くのレーダー施設は辺鄙な場所にある。我々はラスベガスからエリア51に入っていく航空機など,そこを通過するあらゆるものを監視していた。

1966 年から1967 年にかけてのことだが,その何かがそこを通過し,それは最も興味深い一夜になった。私は午前1 時頃に大きな騒ぎを聞いた。
我々は8,000 フィートにいた;レーダードームはおよそ1 万500 フィートにあった。私は起きて主要道まで歩いて登ることにし,事務所の近くまで来た。
そこには同僚たちが立っていた―五人ほどのグループだった―彼らは空を見上げていた。それで私も空を見上げたのだが,目に入ったのは光を発し,とてつもない速度で移動している物体だった。そこはチャールストン山から北または北西に少し寄った場所だった。まさにそのとき,これらの物体が鋭角に方向転換したのを私は見た。速度は時速3,000 マイルから4,000 マイルと推定された。それが瞬く間に急な方向転換をしたのだ。あれは我々のものではない…

…私はスカンクワークス,ロッキード航空会社先進技術開発部で特別な経験を積んでいた。その経験が,これらの物体が我々のものではないことを教えていた。また,パイロットである立場から,私はこうも考えていた。機体内部に人がいるとしたら,その身体にはどんな種類の力がかかるのか? そしてこう言った。これらの操縦者はある種の知性体に違いない。

この状態がさらに90 秒間ほど続いた。するとまったく突然に,それらは数百マイルはあろうかと思われる天空を横切って西に集まったように見えた。それらは輪になり,旋回し,消えた。何と見事なショーだ,私はそう思った。

保安軍曹がたまたま勤務中だった。我々は皆互いに顔を見合わせ,これは確かに現実のことなんだと言い合った。すると軍曹が,我々はこれについて一言も話してはならないと言った。

ところで,私には主任レーダー操作員をしている友人がいた。アンソニー・カサールという名前だ。アンソニーはバスのドアが開くと真っ先に降りた―私はドアが開いたとき,そのすぐそばに立っていた。私は彼を見た―アンソニーはブロンドの長髪をなびかせた快活な大男だ―彼は誰よりも真剣だった。その顔は蒼白だった。彼はバスのステップを一歩降りると,私を見てこう言った。“あの物体を見たかい?”私は“見たとも。我々はそれを見ていたんだ―何人かはそれらが消えるまで4,5 分間は見ていたよ。自分が見ていた時間は90 秒よりやや長かったな”と言った。すると彼はこう言った。

“我々はそれをレーダー画面で見たし,記録もした。あれはお化けじゃないし,幻影でもない。あれは現実の固体物体だ。我々が使っているようなレーダーに映るからには,それは固体物体でなければならない。しかし,それを我々のレーダーは追跡しなかった―それはレーダーに映ったり消えたりした。記録もそのようになっている”彼は最終的に6 個から7 個を記録した。我々はその速度を推定したが,レーダー操作員たちもレーダースコープを使ってそれを推定していた。

SG:彼らが推定した速度はどれくらいでしたか?
DP:彼らが推定した対地速度は,時速に換算して3,800 マイルから4,200 マイルだった。これらの物体は大空を横切って矢のように飛んだ。最初それらは1 個の星のように見えた。それがあらゆる方向に動き,あらゆる種類の直線運動をしたり,静止したりした。
我々の大部分は最高機密取扱許可を持っていた。また,少数ながら超最高機密取扱許可を持つ者もいた。私自身はあらゆる種類の記録文書を扱っていたが,当時それは最高機密取扱許可だった。情報を記録する人々がいた。すべての情報は記録され,文書化された。次に署名され,保管された。我々の部署であるレーダー中隊は第26 航空師団の一部で,師団はアリゾナ州フェニックスの近くにあった。
だから,報告書がそこからどこへ行ったかだが,ペンタゴン,米国空軍の司令部に行った可能性がある。
これらのUFO は巨大だった。それらは停止し,その後で60 度,45 度,10度といった方向転換をした。そして瞬く間にこの動きを逆転させた。
私がスカンクワークスで働いていたとき,我々は国家安全保障局(NSA),国家安全保障会議(NSC),およびCIA(中央情報局)に対して誓約をしており,何事についても沈黙を守っていた。なぜなら,彼らは我々がどこで何をしているかを常に把握していたからだ。私は自然にその団結心を身に付けた―

我々はここでは大家族だ。私はケリー・ジョンソンの直属部下としてここで働いていることをとても誇りに思っていた。
私は1997 年に,実業家仲間の一人からこう訊かれた:“あなたたちがあの航空機に組み込んだ技術の幾つかは,地球外からもたらされたものだろうか?”私はこう答えた。“大いにあり得ることだ。しかし,それをこの地球で使えるようにするためにはまだ努力が必要だ。そのことを覚えておくべきだろう”

SG:あなたがロッキード・スカンクワークスにいたとき,反重力推進システムの研究が行なわれていると聞いたことがありましたか
DP:あなたが訊ねている推進システムの研究だが,確かに存在していると聞いた。しかし,右手がしていることを左手が知ることは決してなかった。それには正当な理由があった。

繰り返すが,彼らは我々が質問することを望まなかった。我々は目下取り組んでいるプロジェクトに専念したかった。私はU-2 プロジェクトの最終段階でそれに加わった。あのタイプの航空機は今でもまだ使われている。私が設計,建造,最終試験飛行に関与した最の4 モデルは,最初の軍用モデルではなかった。この米国にはもう一つの契約空軍がある。しかしその名前は言いたくない。
彼らはそれを契約パイロットを使って運用している。きわめて優秀なパイロットたちだ。つまり,我々の最初の4 モデルは彼らのためのもので,とても特殊なモデルだった。それからSR-71 が登場した。これはブラックバードというそれにふさわしい名前で知られている。

私が何年もかけて知ったことから考えて,反重力研究は行なわれていた。おそらく,スカンクワークスの幾つかのコンサルタントがそれを行なっていたと思う。
我々は,ニューメキシコ州ロズウェルで1947 年に墜落し,回収された何機かの宇宙機があったことを知っている。そのとおり,それは現実に起きた。我々がそれから幾つかの技術を獲得したことは事実だし,それを使えるようにしたことも事実だ。世界の利益のためにこれらの技術を産業界に提供した米国陸軍の人々の先見性を,我々は評価してよいだろう。

SG:我々が回収された地球外輸送機を持ち,それを研究しているというのですか?
DP:私はそれを事実として知っている。我々はそれを使えるようにした。しかし,それが何であるかを解明するためには,長い時間が必要だった。次に,どうすればそれが使えるかを解明し,さらに何に使えるかを解明した。そうした製品が人類の役に立つのかということに関しては,1980 年代や1990 年代になるまで分からなかった。この頃に私はライト・シティー・テクノロジーズという会社を知り,その有用性を確認することができた。

その会社は秘密性の高い技術開発企業の一つだった。我々はデータ信号,航空電子機器,コンピューターなどで協力した。前にあなたに話したが,我々はCIA と契約している軍のある機関や,我々が見えない産業と呼ぶ部門の人々と互いに顔見知りだった。見えない産業,これはうまい言い方だ。我々はそれを闇の産業,深い闇の産業,隠れた産業などと呼ぶ。

さて,これらの技術に関する私の知識は,ここで捕獲された宇宙機から来たものだ―私はその宇宙機も,遺体も見たことはない。しし,それに直接関わった何人かの人を確かに知っている。もちろん,彼らは亡くなってもうこの世にはいない。しかし,この惑星外からやってきてここに長く住んでいる

人々,生命体がいることに疑問の余地はなかった。それはここ何年かの間に起きていることではない。これを解明するためにNATO(北大西洋条約機構)が行なった合同調査がある。
こうして,その当時来ていた種族の出自について記録文書が作成された。
1960 年代初めのことだ。我々の航空機[ロッキード・スカンクワークスU-2,ブラックバード航空機]の必要性を促進したのは,NATO から出てきた
[UFO についての]これらの報告書だった。これらの報告書は1950 年代終わりに始まり,1960 年代初めに終わった。そして様々な国の然るべき指導者たちに配布され,いわば鍵をかけて厳重に保管された。未確認飛行物体がより頻繁に目撃されるようになった結果,これらの報告書が作成されることになったのだ。

我々が持っている1954 年の記録によれば,ここカリフォルニアで,この国の指導者たちとET との間で会談が持たれた。書かれた記録文書から私が理解するところでは,彼らはここに来て研究することを許可するように要請したという。それに対する我々の返事は,次のようであったとそれには書かれていた。
これほどの進歩を遂げているあなたたちを,私たちがどうして止められるだろうか? そして私はこのカメラ,この録音機を前にして述べる。
この会談を持ったのはアイゼンハワー大統領だった。それは映像に撮られていた。ちょうど我々が今日行なっているようなものだ。それについての最新のNATO 報告書には,12 の種族がいたと述べられていた。これらの種族は何者なのか,何をしているのか,何をしようとしているのか。それを理解し,状況を最終的にまとめるために,彼らはこれらの種族とコンタクトする必要があった。報告書はそのことには触れていなかったが,彼らがここにいるのは数年ではなく,数百年間,おそらくは数千年間であると確かに立証していた。文章にそう書かれていた。

さて,我々が使っていたかもしれないET 技術の話に戻ろう―チップ,レーザー,暗視技術,防弾チョッキ,その他―これらはすべて,ET のおかげで開発が可能になったものだ。彼らが中央処理装置と呼ぶチップだが,これは大きな進歩を遂げた。どうしてそのようなことが起きたのか? 幾つかの物事を組み合わせ,少し研究する―それが驚くほどの効果をもたらすのだ。
これらのET に敵意はあるか? もし彼らに敵意があったなら,彼らの兵器でとうの昔に我々を滅ぼしていたか,何らかの損害を与えていただろう。
幾つかの技術が地球外宇宙機に由来することを私は知っている。彼らが墜落した原因は,我々のレーダーとある装置により,彼らの誘導装置が干渉を受けたことだ。

もう一つ確かなことがある。民間会社ライト・シティー・テクノロジーズ社のために働いていた我々の契約科学者の一人が,これらの技術に取り組んでいたということだ。彼は幾つかの技術に取り組む一方で,米国政府の有名な情報機関にも属していた。
私が軍や政府のレベル以外で話をした相手はグリア博士だ。その理由は,彼がそれに専門的な手法で取り組んでいるということだ。それは我々が軍でとった方法と一致している。
ET レンズについて:宇宙にはわずかな光しかないことを我々は知っている。宇宙機の内部の搭乗者が暗い宇宙空間でものを見るための眼球被覆物が幾つかあった。これらのレンズは光を増幅しただけでなく,それを鮮明にした。

私がこれを述べる理由は,彼らにこれらのレンズを外させて研究するようにしたのは,地球の医師と専門家たちだったということだ。こうしたことの多くは,コーソ大佐により十分に立証されてきた思う。誰が彼と一緒にいたか? 大勢の人が彼の周りにいた。しかし,コーソ大佐の本の中で言われている事柄の多くは,これまで私と一緒に仕事をし,今も一緒に仕事をしている人々により裏付けられている。私はそれを立証することができる。

だから,それについて私が知っていることは間違えようのない事実なのだ。その情報が伝わってきた経路についてはまた別の話だ。我々は隠蔽されている技術について語っている。なぜ彼らはそれを人々に知らせないのか?
彼らはそれを人々から隠しているが,その幾つかにはおそらく十分な理由がある。
政府自身がそれを理解しなかった。空軍にいながら,多分我々もそれが何なのかはよく分からなかった。ロズウェルからそれらの技術を引き出した後,それから何をつくり,どのようにして産業に組み込み,どのような利益を人々にもたらすことができるのか。それを知る前に,作動原理を解明する時間がしばらく必要だった。

記者や新聞や物書きが世に広める扇情的な報道は,少しも人々のためにならない。
人は大げさな話を好むものだし,我々は皆好奇心を持っている。しかし,そうした話には事実と真実の情報もあるだろうが,半分の真実しか含まない扇情的な情報もあるだろう―まったく真実でないものもあるかもしれない。

私はどのようにしてNATO 報告書のことを知ったのか:報告書が出されることになったそもそもの要因は,1950 年代終わりから1960 年代にかけて始まった冷戦だ。ロシアの領空に侵入する航空機,UFO がいた。また,我々の領空に侵入する航空機もいた。そのため,我々は互いに相手を非難し合っていた。

そうしている間に,我々はボタンを押す寸前まで行った。本当にボタンを押し,おそらくは互いに滅ぼし合う瀬戸際まで行った。しかしボタンが押される前に,第二種の抑制が働いた―我々はそれを人間の理性と呼ぶ。それは機械がなし得ない何かだ。彼らは状況を判断し,こう言った:ちょっと待てよ;
同じことが両方に起きている,何かおかしいぞ。我々はボタンを押す前に少し調査をし,報告書を出すべきだ。
こうして,報告書が作成されたのだ。

私はCIA のために働いていたおかげで,その報告書のことを知った。そのとき私は,NASA 関連のある情報を追っていたのだが,それは異星人来訪の真実性に関するものだった。私がNATO 報告書のことを知ったのはそういう次第だ。しかし,それは軍の経路でも入ってきた。私は何度か電話をする必要があり,そうした。我々は契約業者として中央情報局(CIA)と一緒に働いていた。スカンクワークス時代のことだ。ご存じのとおり,CIA は我々の最良の顧客の一つだった。そして世界有数の空軍を持っていたのはCIA だ。我々の所にはフランシス・ゲーリー・パワーズがいた―もちろん彼のことは皆知っている―シューマッハーもいた。こうした人々が大勢いた。彼らは実在の人々だ。彼らはしばしば政治に翻弄された。

我々が小さな人々と呼ぶ生命体がいたことを私は確かに知っている。軍で我々のために仕事をしていた一人の技術者が,ある特別なプロジェクトに加わる気はないかと訊かれた。それは飛行訓練装置を製作することだった。
彼は機械技術者であると同時に電気技術者でもあった。その訓練装置を製作している途中で,彼は次のことに気付いた。製作のある段階で,誰か別の人々と一緒に働くことになっている。その別の人々が現れた。彼らは人間に似た小さな生命体だった―衝撃的と言えばそうだった。なぜなら,彼らはすべて背の低い人たちだったからだ。しかし,とてもとても高い知能を持っていた―高い知
能,超知能を持つ子供のようだった。間もなく彼らは,ここに座っている我々と同じような存在になった。彼らが製作していたのは,彼らの宇宙機を作動させる方法を学ぶための訓練装置だった。その取り組み方はとても興味深いものだった。

[ビル・ユーハウスの証言を見よ。SG]
回収されたET 宇宙機から獲得した別の技術は,ファイバー光学だ。それはこれらのコンピューターチップに組み込まれている。覚えてほしいが,信号は我々が知るような金属線を伝わらない。信号は色光として中空コアの中を伝わる。それぞれの色は,ある仕事を割り当てられたスペクトルを持っている。こうして我々はファイバー光学を手に入れ,それを実用化した。彼らは研究と逆行分析(reverse engineering)に大変な努力を払った。

我々はまた,手持ちスキャナーを手に入れた。それで身体をスキャンし,状態を診るための装置だ。この同じ装置で治療することもできる。本当にそのような装置があるのか? 私は個人的な経験から,こう言うことができる。我々はそれに取り組んでいた。その結果,我々は癌を治療することのできる装置を開発した。診断と治療,まさにそのとおりだ。

また政治の話になる。FDA(食品医薬品局)に神の祝福あれ,公開されると彼らの金融資産に損害を与えかねないある種の技術を秘密にしている人々に神の祝福あれ。しかし,それは誰にとってもウインウイン(共に利益を得る)の状況になり得る。これが,我々の技術開発グループが技術の使い方として考えていることだ。

SG:あなたはそのグループと付き合いがありましたか?
DP:私はカリフォルニア州の企業になったその組織に出会い,6,7 年間付き合いがあった。ずいぶん前,1980 年代のことだ。
スカンクワークスにいたとき,我々はCIA の契約業者だった。スカンクスワークスで働いたのは5 年間だ。それから軍に行ったが,期間は一般的な4年間だった。

私は1997 年に,軍にいる熟練工作員の何人かと会った。彼らは高度に鍛錬されており,その気になれば都市を吹き飛ばしたり,大勢の人の命を奪う能力を身に付けていた。もちろん,彼らはその練習をしていただけだ―念のために言っておく。米国では常に防護シテムの試験が行なわれる。防弾性能は十分か,それとも改良を要するか,それを知る唯一の方法は試験だ。
この工作員グループは,エリア51 の防護を破るように依頼された。彼らは素晴らしい仕事をし,それを成し遂げた。彼らはエリア51 に侵入し,その防護システムを一つ一つ解体していった。一つ一つ部品を取り出すと,信号が送られ,警報が鳴る。そうすると彼らは隠れる。彼らは熟練した者たち,軍の熟練工作員だった。

SG:彼らは何を発見したのですか?
DP:彼らはエリア51 に多くの区域があること,その防護システムが実に気違いじみたものであることを発見した。よろしいか? そこの防護隊がどういうものか,想像できるだろう。彼らは少しいかれてもいた。ほとんどの時を人里離れた場所で過ごすのだから当然だ。しかし,そこに宇宙機があって研究されているというのは本当だ。そのとおり,そこにはET 宇宙機があったのだ。私はそれに取り組んでいた人たちと話したことがある。そこには様々な階層があり,地表に見える施設は研究区域の全体を表してはいない。

私はエリア51 と呼ばれる施設の基礎を築いた二人の著名な人物がいることを知っている。実は彼らは互いに友人だ。私は何も知らなかった。我々がこうしたことについて何でも語り合い,いわば話を交わし始めたのは1995 年から1996 年の頃だった。そのときに,私はそれを教えられたのだ。
彼らは私を見てこう言った。ケリー・ジョンソンのために実際にそこへ行ったのは誰だったか,君は知っているか? 彼らは二人の名前を教えてくれた。
しかし今はそれを言いたくない。

SG:分かります,分かります。それで構いません。
DP:なぜなら,彼らはまだ私たちと関わりがあるからだ。彼らはまだ関わりがある。
SG:彼らはまだ関わりがあると。
DP:家族のためにね。彼らは引退しているが,契約によりまだこれに関わっている。
SG:これらのUFO プロジェクトに関係している企業はどこですか?
DP:デュポン,アイビーエム,今でいうウェスタンデジタル,イージーアンドジーだ。私はイージーアンドジーと取引があった。
彼らは我々に製品を供給する。彼らは我々の民間企業に製品を供給してきた優良契約企業の一つだ。
様々な職場に社員を送り込んだり,戻したり,それを安全に行なう責任を負っ
ていた。しかし,それがすべてではなかった。それは彼らの仕事のほんの一部にすぎなかった。

アポロ月面着陸のとき,ニール・アームストロングはこう言った。“彼らはここにいる。すぐそこにいる。何て大きな船なんだ。我々が歓迎されていないのは明らかだ”続けて彼は状況をこのように描写した。それは軍用機の勢揃いのようだ。この周りにだけ宇宙機と人々がいて,自分たちをじっと観察している。ニール・アームストロングは,彼らは自分たちを歓迎していないと言った。

SG:あなたはその録音テープを持っていますか?
DP:いや,私は文字に起こされた通信記録を持っている。
SG:ケリー・ジョンソンはUFO/ET 問題について何か知っていましたか?
DP:もちろん知っていた。確かに知っていたと思う。しかし,彼は仕事を進めることに専念していた。彼と肩を並べられる人物は世界で五人いた。そのうちの三人は米国にいた……

私はある同僚科学者から一つのことを学んだ―私が最大級の尊敬の念を抱いている人物だ―彼はCIA にいたが,こんなことを言った。その計画が何であれ,我々が最初にはっきりさせたいことは,計画の推進者は誰かということだ―これが,私がCIA でやったことだ。
誰が推進者か? 動機は何か? なぜそれが行なわれているのか? 我々が初めて話をしたすぐ後で,私は訊ねた。なぜスティーブン・グリア博士はこれをしているのか? 私は自分の調査を行なってきた―かなりの量になるだろう。そして何が起きているかを注視してきた。
あなたは自分がしていることに熱心に打ち込んできた。あなたは専門家だ。私が今夜ここにいる理由はそれだ。あなたと話している理由はそれだ。
私は今でもそうした接触者を世界中に持っている。彼らは多くの物事を立証することができる。

SG:今進んで名乗り出そうな人を誰か他にご存じですか?
DP:我々は皆署名した契約のもとにある。それは今なお有効だ。しかし人類の利益になる情報なら,それを人々に伝えてならない理由はない……

さて,グリア博士。私が1998 年にこの技術会社をつくった目的の一つは,有害物質を除去できるこれらの技術を開発することだった―空気を浄化することができ,化石燃料を大量消費する必要性をなくすか,それをより効率化するのに役立つ技術だ。そうとも,時期が来たのだ。
私があなたに言えるのは,それはすでに始まっているということだ。

我々が思い付いたことを,私は証明することができる。我々はそれを証明することができるのだ。

SG:これらのエネルギー発生システムについて話していただけませんか?
DP:同僚たちが開発したエネルギー発生システムは,地球からもたらされる
自然エネルギーを利用するものだ。地球にはある種の自然倍音がある。それはすでに証明されている。