超越瞑想またはTMと呼ばれる瞑想形式を学習することで、私は十八歳の誕生日を特筆すべき記念日とした。高次意識を自由自在に経験出来る能力を与えてくれるものなら、何だろうと私は渇望していたのである。TMコ-スこそ私のとるべき道のように思われた。

儀礼的な虚飾を取り除いてしまえば、TMは平易なプロセスであることにすぐ気がついた。それは、日常の意識、直線的観念から、無限定の意識の中へ超越するために、想念マントラあるいは称誦マントラとともに坐することで成り立っている。

教師の隣に座り、彼と共に技法を始めた。しばらくすると、教師は異様な感じをもったようだが、私には正常な状態に感じられた。私は完全な超越意識、つまり無想三昧(フル・サマ―ディ)の中へ入っていった。そしてもう一度、あそこ、宇宙意識の状態の中にいた。とても美しい―技法は私に対してかくも簡単に効果を上げたのである。その前に三月に経験した臨死体験により、チャネルがすでに開かれていたためだろう。
瞑想後、教師は私を見て言った。「あそこへ行きましたね?」私は「はい」と答えた。彼は「初めて?」と聞いた。「初めてかどうか、あまり確かではありません。でも、あなたとは初めてです」

それ以後、私は思いのままに宇宙意識を経験する能力を訓練しはじめた。その結果、世界と自分自身について、これまで以上に驚くべき展望が開かれた。人間の堕落によって汚されていない、実に純粋な状態の地球、自然、そして神性との繋がりを取り戻すことができたのである。少年時代に経験した、あの純真無垢な意識を再発見していただけでなく、その意識をもっと深く理解していた。
翌年の夏、アパラチア州立大学へ通学するために、私はノースカロナイナのブーンへ発った。この大学を選んだ理由は、その所在地が私のとても愛するブルーリッジ山脈の荒漠たる土地だったことにある。私はこの山脈に深い愛着をもっている。この親近感は、チェロキーから受け継いだ遺伝子の繋がりにちがいない。

私はできるかぎりこの山脈の懐に出ていき、あらゆる天候のもとであらゆる瞬間を、自然の赤の霊的歩行者のように完全に自然と結び付いていたかった。新たに獲得した瞑想技法を実習し、神と繋がる経験を保ちつづけたいと切に願っていた。このようにして、私は成人への敷居を跨いだのである。祈ることもせず、祈りについて無知であり、神との交わりによる宇宙意識の経験もない家庭に育った私が、こうしたことを全部独力で発見した。

無宗教に生まれついたことは、実をいうと、形を変えた神の恵みであった。きわめて稀な例外を除き、狂信性と霊性とは逆関係にあるようだ。信心深くなく過ごしたおかげで、尾ひれをつけた教義の荷物を背負わずに、ただただ真実だけを探すことができたのだ。
その秋に起こったことは、それより六か月ほど前に経験した臨死体験を異常なほど増幅した出来事だった。私は、小都市ブーンの上空五千フィートのリッチズ・マウンテンの峰にいた。山麓でその入り口がふさがれている砂利道は山頂近くで終わり、そのそばに火の見やぐらがある。
クリスタルのように澄みわたったある日の午後、私はこの山の頂きから日没を見ることに決め、静座して日没の瞑想ができる時間内に山頂に着いた。

瞑想を始める前に南西方向へちらっと目をやると、宇宙船がいた。少し距離をおいていたが、九歳のときに見た通りのものだ。どういうわけかこのときの私の反応は、「また彼らだ」程度のもので、それについてはもうほとんんど気にかけていなかった―彼らがここにいる事実をごく当たり前に受け容れていたのである。そして宇宙船は、何年か前に見たときのように突然姿をけしてしまった。

私は瞑想に入り、無限のマインドの中で、深く美しい経験に没入していった。暫くして目を開くと、辺りは真っ暗で、満天の星が輝いている。あの高所の、透明な乾いた大気の中の銀河と無数の星の眺めを、想像してみてほしい!「神はかくも美しい宇宙を創られた」

その思考とともに、臨死体験のときの意識状態と全く同じ状態に入った。その神の意識の中で、完全に目を覚まして全創造とひとつになり、しかも同時に私は山頂に立っているのだ。途方もない経験だった。

下山しはじめたとき、山の端から漏れる白光に気づくとともに、そこに誰かがいるのを感じた。するとだしぬけに、私の右側にETが現れ、まるで強力な指がふれたように、私の肩をぎゅっと掴んだ。私は肩に目を向け、上着に残された痕跡を見て総毛が逆立った!

最初に浮かんだ考えは、どことなく子供じみていた―「この生き物は私にいったい何をしたいのだろうか」私は地面に胎児のような姿勢で(この事実を認めたくないが)屈み込んでしまい、振り仰いだ。するとそれは見返した。それは男性だった。彼は全く穏やかで、脅迫的なところは少しもない。美しい、鹿のような目をしていた。

それから私は、いきなり宇宙船へ運ばれていった。私たちは宇宙の真っただ中に座っていた。宇宙船が半透明になったのを思い出す。まるで船全体は光ファイバ―製、船体の姿は消滅可能であるかのようで、周りには何もなく、宇宙にういているように感じられた。どちらを見ても宇宙が見えた。

というわけで、私はそこにETたちと一緒にいたのだが、彼らは三,四フィートの背丈で、みな訴えるような目をしている。それは、ある目的があってそこにいるのだということを訴えていた―一緒に瞑想するためだった。彼らが私に関心をもったのは、宇宙意識の経験がある人間とコンタクトして、その意識を彼らも共有したかったためである。ここに至って、私は宇宙意識と呼ばれる状態が私たちにとってどういうものかを彼らに教えた。彼らと私は宇宙意識を共にした―信じられないエンカウンター、宇宙人とのコンタクトについて通常流布されている話とは全く異なる出会いである。

地球上の私たちにとってノーマルではない領域での、時間、空間、相対性のために、その出会いは非常にノン・ローカルな経験であった。あの意識状態では、秒とか時間だとか歳月などはもはや問題ではない。なぜなら時間や空間は超越してしまっているからだ。この無限の永遠性が意識の真の本質であり、私たち誰にも内在する真我である。

彼らと一緒にいる間に、人間が彼らと通信する際の信号(コード)を共同制作した。これが「CE―5(第五種接近遭遇イニシアティブ)」の誕生である。音響と照明を用いるだけでなく、ノン・ローカルな意識、さらには宇宙人や彼らの電子装置と通信するための一貫した思考の指導書さえ用意した。ETとのこの共同創作は、一九七三年十月、中東のヨムキプル戦争中に完成した。

人間がお互いに確信しているような破滅を乗り越え、宇宙の中で調和共存できる平和な文明へ移行するよう、ETたちが望んでいることは、私にははっきりしていた。この目的のためn大使たるべき人々を地球は探し出す必要がある。だから私はその仕事をすること、また、そのことを同じ人間仲間に教えることを申し出たのである。ただそれだけ、それ以上のことは何もない。

それから全く突然、私は〝普通″の意識状態に戻り、自分が火の見やぐらのそばの砂利道に居るのに気がついた。そこは、前に私のいた地点よりやや下方だが、やはり尾根のてっぺんだった。「すごい!なんと素晴らしいことか」と私は思った。彼らと共に経験した一体感は、重要なメッセージを携えている―この瞬間に目覚めを自覚しているマインドは、神という存在のマインド、すべての存在のマインドと同じものである。

アーウィン・シュロディンガーは、宇宙にあるマインドの総数は1であると言ったが、彼は全く正しい。ただひとつの目覚めた意識があり、私たちが「それ」である。したがって宇宙にはただひとつの人々がおり、私たちが彼らである。〝異星人″とか人間とかの区別はない。連続した完璧な、継ぎ目のない、意識ある生命が宇宙にあり、私たちはみなその一部である。

スーフィーの伝統に「あなたの中に宇宙が折り畳まれているとき、あなた自身は取るに足らないものと思いませんか?」いう修辞疑問がある。私たちはこの取るに足らないものではない。永遠無穹の宇宙全体が私たちの中に折り畳まれている。私がETたちと経験したことはまさにそのことであった。

地球に平和をもたらす唯一のチャンスは―宇宙については気にしなくていい―ETと人間の間に真の相違はないということを人間が理解すればいいということを彼らは知っている。どんな外観をしているかは問題ではない。地球上だけを見ても、身体的外観の多様性を考慮すればわかることだ!問題は、私たちの中に全く同じ比類のない意識の光、無限の永遠性が存在し、常住していることであり、それに対して私たちがオープンであるかないかにはかかわらず、時間の中のどんな瞬間にもその意識が存在していることだ。それが私たち相互の関わりの原則であり、宇宙との関わりの原則である。それは持続し、永遠である―無条件の純粋きわまりない形態において、私たちはそれを経験した。美しさのまたその先の経験だった。けっして何も恐れる必要はない。

私が一八歳にすぎなかったことは問題ではない。年齢、人種,家系、財産などは彼らの眼中にはない。彼らが注目したのは、真実を見きわめることとこの世の物質性をかえりみないことが可能な程度に、私が純粋な心をもっていたことである。人間はあらゆる時代を通して教えを学んできた。さまざまな文化に見られるそうした教えの普遍性を、私は洞察することができる。なぜなら、どの言語においても真実はひとつであり、同じだからである。あの日、私たちが共同で捜索したものは、人間ひとりひとりは互いに結合でき、宇宙の無限の意識にも結合でき、他の文明にも結合できることを立証した。私たちが目覚めた存在であるという事実を、ただ理解すればいいだけだ。もしあなたが目を覚ましていて、本書を読んでいる、あるいはいまここでそれを聞いているとすれば、目覚めていることによってきいているのであり、目覚めと聞くことはひつつである。それは分割されていない。私たちはそれを自意識と知性に分割する。しかし実際には、意識の光はあらゆる存在、あらゆる星において同じである。コスモス全体が神のこの同一の光に満たされている。意識というこの大いなる太陽があり、あらゆる人の内で反射したり屈折したりはするが、しかしそれはひとつのものである。そこで、このひとつの存在のもとへ帰れば、そしてそれを経験するなら、これらの生命形態のどれひとつとして、遠くの異質な生命―つまり異星人―には見えない。なぜなら、彼らは実際にそうではないからだ。

ひとつの宇宙、ひとつの人々、という「地球外文明研究センター」の概念が採用されたのはこの時である。宇宙には現実にひとつの人々がおり、私たちが彼らである。私たちすべての中に、ただひとつの意識ある存在が輝いていす。どんなに頑張っても、その存在を分割することはできない。分割してみたくなっても、その存在はつねにひとつである。それはつねに比類なき存在であり、つねに完璧である。ここにいるETたちはこのことを理解している。ノン・ローカリティを理解せずには、星間宇宙を旅することはできないからだ。ノン・ローカリティの理解には高度の知識と悟りが要求される。

私たち全員がひとつであるという現実性の中に、慈悲の心と平和の基盤が見出されることは自明の理である。それを経験しないならば、残された道は主知主義であるが、それはけっして長持ちはしない。そこで、世界の諸問題は本質的に霊的問題であるから、その解決策もまた霊的である、ということに比較的若くして私は気が付いていた。そして、結果的に私はそれを経験したのである。

星をちりばめた美しい夜空の下、私は山上に戻っている自分を見出したが、そのとき別の奇妙な現象を経験することになる。私はさらに砂利道を百ヤードほど下ったところにいたようだ。山を下りはじめると、足を踏み出すたびに、無重力に近い状態にいる自分を見出した。まるで月の上を歩いているようだった!

実際、一歩が二十~三十フィートの歩幅で跳躍していたのである! 歩行というより浮遊だった。私を取り巻いて、奇妙な、磁気的な、反重力作用が働き、私を軽くしている。それは想像力の産物出はない―私の物理的身体が軽かったのだ。

私はヒバリのようにひたすら嬉しかった。宇宙船に乗った真新しい経験、そして今度は一歩ごとに、あり得ない距離をポーン、ポーン、ポーンと跳びはねながら山を飛び下りていく。それは信じられないほどの悦びに満ちていた。町に近づくにつれてこの現象は衰えていき、体重は正常に戻った。

小都市ブーンに着いてみると、核戦争でも起こったのではないかと思うほd、ひっそりとしていた。夜の九時か十時ごろだから、まだどこも開いているはずだ。ブーンはノースカロライナ山岳地帯の小さな学園都市である。「いったい何が起こったのだろう。ヨムキプル戦争の抑制がきかなくなり、核戦争になって、私はそれを知る最後の人間となったのだろうか」と考えた。時間を確かめると、午前一時近かった。私の宇宙体験は三,四時間も続いたのだ!

この驚くべき体験をした夜以後、私は学んだこと、ETたちに教えたこと、彼らと分かち合ったこと、すべてを実行することに決めた。毎夜、就寝する前に横になり、瞑想状態へ自分をおいてから、無限定の〝意識″の中へ入る。次に、意識的なマインドの感覚を私の周りに、そして部屋中に広げ、同時にそれが遍在する感覚であることを認識する。その〝意識″の遍在感覚の翼に乗って、情報へ広がり宇宙に向かい、覚醒感に充たされながら星や宇宙空間を見るのだ。私はその覚醒とひとつであり、覚醒は私を外へ、宇宙へ連れ出す。

そうした後で、私がここにいることをETたちに知らせるべく、信号のような思考を彼らに送る。多少子供じみたしゃべり方で私は言う。「私を覚えていてくださるかどうかわかりませんが、私の名前はスティーブです。私はいまここにいます。私の居場所へご案内しましょう」そして、「CE―5イニシアチブ」用に開発した交信(プロト)儀礼(コル)を実行する。

この高次意識の状態のまま、その向きを変え、外の広大なスペースを見る代わりに後ろを振り返り、ETたちに地球上の私の位置を示す。

まず私は彼らに銀河系宇宙を湿り、次にそこから太陽と地球のある太陽系へズーム・インする。その次に、地球へ、北米へ、米国東部へ、そしてアパラチア山脈へ向けて接近する。さらにノースカロライナへ、ブーンの私の居住地を知らせるためにズーム・インし、次いで、家屋内の私の正確な位置へ照準を合わせる。そこで私は寝入る。

数か月間にわたる私の経験は、全く驚くべきものだった。一九七三年十月以降、この山岳地帯に前例のないUFO目撃の波が起こりはじめたのである。私はこれを、宇宙船上で共同創作し、同意した内容が本当に効果のあるものかどうか、システムのベータテストの一方法として試してみたのである。確かに効果があった。新聞報道によると、山岳南部のシャイニング・ロック荒野、リンビル峡谷地域、その他、ここ、あそこ、いたるところで森林警備員が巨大な宇宙船のホバリングを目撃している!

ある日、地方新聞にノースカロライナのモーガントン地域を外れた道路を運転していた男の話が載るまで、私は交信儀礼を続けていた。宇宙船が現われたのは、私の居住地から数秒しか離れていない。私によく似た青年がその道路を運転していたのだが、その車が急停止した。道路のわきに宇宙船がホバリングしており、ひとりのETがその青年の車の窓にいる。青年は非常に驚いた。

私はその記事を見て、ETたちが間接的なやり方で「ほらね、私たちは信号を受け取っているよ」と言っているように思えた。私は心の中でこう思った「私は危険な火遊びをしているんだな。これはどう対処すべきか結論がでるまでは、ほどほどにしておこう」

このエピソードについては、私は長い間誰にも話さなかった。しかし、私が真実として知っていることを公表するために、なぜ常勤の医師資格と年俸二十五万ドルを断念したのかを理解してもらいたい。それが「たんなる空論」だからでは断じてない!

この寝入ったままの状態で、私はETたちといかにも対話している感じの通信を続けた。かなり後のことだが、ルームメイトが言うには、数か月にわたって彼は夜中に目覚めてしまい、私が非口声で寝言を言っているのをきいたそうだ。

「確かに話していたよ、でもこの世界の言葉ではなかった」とかれは言った。私はこう思った。
「えっ、いったいどういうことだ。どういうわけか、私はETたちが使う言葉とコネクトできる意識状態にいたらしい。彼はそれをはっきりと聞いたから、絶対にこの世界の言葉じゃないと言ったんだ」

このことがあって以来、ETたちとの交信儀礼を使用する特別な理由がないかぎり、その能力は私だけの知ったこと、他言はすまい、ときっぱり心に決めた。