一九七四年、アイオワ州のマハリシ国際大学の教員養成科に入学するため、私は古風なブーンのカレッジを去った。マハリシ国際大学での養成期間中に、私は実に驚くべき経験を積んだが、それはひとつには、このグループの画一的な教義の面に関しては独立した立場を維持していたおかげである。しかしながらそこでは、厖大な量の深遠な知識について議論されていた。

私は『ベェーダ』とサンスクリット語の研究に没頭した。『ベェーダ』に詰まった壮大な知識―意識と宇宙意識の経験二ついて何と明瞭に叙述されていることだろう―にいたく感銘させられられたのである。ここでの経験によって、私は高次意識の開発に専念する時間と場所を得ることができた。

私が吸収した最も深遠な事柄のひとつは、宇宙論が展開されたことである。そこにはアストラル領域もしくは原因となる想念の領域と、光の領域が包含されている。これは教師から教わったというよりは、直接経験から得られたものだ。

創造の仕組みを理解し、その細部にわたって経験しはじめれば、いかにして人々が未来の夢を見たり、空中浮遊するために身体を変容させたり、非物質化して別の場所に姿を現わしたりできるのか、非常によくわかる。神話と見なされている物語の中の出来事や、いわゆる奇跡についても、とても理解しやすくなる。こういった奇跡はまた、意識をもった人間ひとりひとりにとって、ことごとく達成可能な技である。ある日、あらゆる存在がこういうことを経験できるようになるだろう。この能力は私たちの生得権―人間だけでなく、宇宙のすべての意識ある存在の生得権である。私たちはみな神の子供であり、こうした贈り物やこうした状態のすべてが私たちひとりひとりの中にあるのだ。

その年、私は無限定の〝存在″をこの世界に呼び寄せる経験を積みはじめた。岩を見て、その中にも純粋な知覚が内蔵されていることを知り得たのである。岩の内部は、エネルギーと光の形態の振動であり、つまり岩に構造と結晶体から成る母体とを与えるアストラル形態の振動である。そしてその内部は岩のイデア(個物の原理、原型)であり、イデアの内部は万物を創造した原初の想念である。更にその内部は、純粋な、静かな、意識あるマインドである。実はあらゆるものの総体は、ただ純粋な意識ある知恵に外ならず、異なる形、異なるやり方で相を変え、共鳴振動し、動いているのだ。

こうした内容の知識の大部分は、経験から実感として理解される必要がある。幸いなことに、人は誰でも人生で、こういった統合感と合一感を経験している。ただその経験を想起すればいい。

私はあなたがその経験を想起しやすいような方法で述べている。霊性の世界に少しも馴染むことなく育った私にできたのなら、誰にでもできるはずだ!

宇宙論の全体像が明らかになってきたので、私は瞑想と高次意識のコースに数年間専念した。その数年間に、ニューヨーク州のキャツキルで上級コースを受講した。修行中には断食をし、一日数時間、まことに美しく閑寂な状態で瞑想した。

私は、子供時代から備わっている能力―当時はまだ現れはじめたばかりだったが―に目覚めはじめた。肉眼では見えないものを意識の中で見る能力である。廊下を歩きながら、角を曲がると何があるのか見てやろうとした。ほとんどいつでも、そこに何があり、誰が来るのかがわかった。当たるまで当てようとしたのではない。落ち着いた意識状態の中に留まっている感じで、実際に見たのである。

そこで、地球上の遠く離れた地点とか遠く離れた時点、たとへは次の日とか次の週などに起こることを見てみようとした。私はこれをかなり実習した。眠りに落ちながら、遠くの場所や出来事を見る能力は日常茶飯事となり、次の日に何が起こるかわかっていた。

これは不思議でも何でもない。意識の遍在性を理解すればわかることだ。意識は遍在しているから、時間と空間の制約を超えている。ということは、この意識状態に入ることにより時空の制約を断ち切ることができるのである。そうなれば、見ることが出来ない「とされている」物事が自分には見えることがわかるだろう。空間と時間は消滅し、真に見ることにおいて貴方は自由だ。

この修行中のある日、『べェーダ』に述べられているいわゆるシッディ(霊力)について知りたいと思った。

肉体に対するこの霊力の限界を試してみるのも面白いだろうと思いつき―私たちは意識そのものなのかどうか、私たちの身体が実際に意識の光で満たされているのかどうか―私は人間のもっている能力について考えはじめた。人間が真に達成するのは何だろう? ある日、私は途方もなく幸せで、悦びに満ち、和やかな状態にいた。とびきり明るく晴れ上がった春の日で、私は戸外を散歩していた。地球と自然にそれほど感動していたため、その後に続く現象はこの好機を逃しては起こり得なかったに違いない。

私たち修行者が滞在していた邸宅の裏の野原を歩いていたとき、私は全く自然に、努力も作為もなしに、空中に浮いた。それは、一九七三年にETと出会った後で、跳躍して山を下った長時間の経験を彷彿とさせた。今回はただ垂直に浮き上がっただけで、おそらく地上二,三フィート程度であったろう。

目的地へ歩いて行くのではなく、直立したまま滑って行く、垂直空中浮遊の経験である。「いったいどうしたのだろう、どうして私にこんなことができるのだろう?」理性に目覚め、叫び声を上げたとたんに、私は着地した。自分の理性と自我によって、中止命令が下されたのである!

この経験から学んだ数々の教訓のひとつは、信念のあるところいつもきまって恩寵があり、あれほど意外な経験にとっては必要な恩寵だった、ということである。私は宗教上の信念を意味しているのではなく、内在する隠れた能力を確信すること、あるいは知っていることをいみしている。それは自己、自我、理性を越えたものである。自分自身をその思いに対して惜しげなく渡してしまえば、信じられないことが達成できる。その思いが通じないならば、私たちがそれを止めているのだ。結局は、私たちひとりひとりの中にある〝神″の力を思い出し、それを受け容れることに尽きる。

この経験の後、私たちは自分の中にどんな能力でももっており、誰でもその能力を獲得し開発できることが、ますます明確になった。そういったことが当たり前の事実であり「標準」として認められる時代へ、いままさに入ろうとしている。

このレベルの経験や知識を持っている人たちを、まるであり得ないほど稀有な例として祭り上げる傾向が、さまざまな霊的、宗教的グループに関わる人々の間にしばしば見られる。しかし、それは不可能なことではないのだ。それを理解することは非常に重要である。万人の生得権として理解されるべき能力を偶像化することは、実際のところ、大自然と人類の潜在能力にとって有害である。

一九七五年、瞑想の教師となるために、私は数人の友人とフランス、イゾラの沿海アルプスへ行った。この特別な静修期間中、私は、統一意識とか神の意識と呼べるような幾つかの意識状態を経験した。

ある日、二年前にノースカロライナの山中で起こったことを思い出しながら、あれと同じ異常経験を繰り返すことができるか知りたい気持ちになった。そこで私はホテルの部屋で、一九七三年に宇宙船に乗ってETたちと共同創作した交信儀礼の手順を踏んだ。

まず無限定の意識状態へ入り、その意識をアルプス全域へ、宇宙スペースへ、我が太陽系へと広げていった。宇宙の広大さを眺めながら、宇宙船とその中ににいるETたちにこう言った。「私の名前はスティーブです。私を覚えているかどうかわかりませんが、私たちは二年前に出会いました。私はいまフランス、イゾラの沿海アルプスにいます」

そしてETたちに、美しい渦巻き状の銀河系宇宙とともに、太陽と惑星と地球からなる私たちの太陽系を思い描いて見せた。次に、ヨーロッパからフランスの沿海アルプスへとズーム・インした。総合ホテルの中の私たちの場所を見せ、「私たちを訪問できるなら、ぜひそうしてください」といった。これは途切れることのない意識の流れの中で、およそ二十分間行われた。

その後、昼食をすませてから、数人の友人と一緒にホテルのそばの山へ散歩にいくことにした。午後一時ごろだった。クリスタルのように澄み切ったアルプスの空を見上げると、美しく巨大な四面体の宇宙船が、陽光を浴びて輝いている。宇宙船はくっきりと完全に有形化しており、私たちの方へ静かに降りてきた。

グループのひとりで、宇宙船と私の経験を知っている親しい友人が「まあ、スティーブ、彼らをここへ呼んだの?」と息をのんだ。彼女は本当に動転してしまった。「なんとまあ、とても信じられないわ」「そう、呼んだよ。君に話したあの交信儀礼をやってみたのだ」と私は返事をした。「ねえ、どうして予め警告してくれなかったの?」彼女はなじるように言った。

グループの何人かが不安な様子を見せたところで、宇宙船は私たちに近づくのをやめ、しばらく浮遊した後、静かに後退した。そしてこの巨大な宇宙船は完全に「非物質化してしまい」私たちの時空かr姿を消してしまった。私は振り返って、笑いながら彼女に言った。「どうやら交信儀礼は機能するようだ」「ねえ、この次からは教えてね。交信儀礼をする前に警告してね!」と彼女は言った。私は笑いが止まらなかった。

このときの経験から、私たちはETとコンタクトできるし、他の人もそれを経験することがdきる、という事実がはっきりした。私が他の人たしと一緒にET船を見たのは、九歳のとき以来これが初めてである。今回の場合は、ひとりの人間が宇宙船を呼び、そして彼らがやって来て、他の人たちが目撃した、という本当の「CE―5」である。明らかに交信儀礼は機能した。私は、ある時点に至ったらこの交信儀礼を教えるべきではなかろうか、と思いはじめた。というのは、これが可能である事実を誰もが知る必要があるからだ。

しかし時間の経過にともない、そのことにまた疑問を抱きはじめた。これほど法外なことが起こると、疑いが忍び寄ってくるものだ! しばらく後に、トレーニング・コースで知り合った友人と一緒に、私はあのノースカロライナの山岳地帯、ブローイング・ロックの外に戻り住んでいた。私たちはともに瞑想教師になったのである。

一九七七年、晩秋のある日、私はもう一度交信儀礼を試してみることにした。その夜、私はベッドに静座し、瞑想した。意識の拡大状態に入り、その状態が宇宙に広がっていくのを感じた。そして光の意識で満たされている宇宙の豊かさと限りなさを見た。その光の中にETたちが居るのを見て、またも私は言ったのである。「私の名前はスティーブです」

あれ以来かなりの時間が経過したので、彼らは私を覚えていないのではないkと思い、「私の名前はスティーブ・グリアです。一九五五年六月二八日に、ノースカロライナ州シャーロット市に生まれました」と言った後で、出生から現在までの経歴をひと通り簡潔に述べた。私はシャーロットを思い描き、どうすれば私の場所へ来られるか案内した。宇宙からシャーロットへ来て、そこから約百マイル先のノースカロライナ山脈へ来る。一連の意識の流れの中でこの技法を終えた後、私は寝入った。

突然、午前一時から四時の間に目が覚めてしまった。美しいブルー・ホワイトの宇宙船が窓の外、家の上空およそ三十フィートのところにいる。搭乗者の意識が真っ向から私の部屋の中へ投射されている! 実にありありとした感覚だった。

私たちはどことも知れぬ場所の真っただ中におり、山と草地と静寂に囲まれていた。しかも私の窓辺にはこの船が無言で浮いている! 突然ハウスメイトが彼の寝室で目を覚まし、飛び起きるや私の部屋に駆け込んできて叫んだ。「あれ見た?」私はきまり悪そうに「アー、オー」と口ごもった。「マイ・ゴッド、裏の真正面に宇宙船がいるんだ」と彼が言う。そこで私は「いやー、知ってるよ。僕が招待したようなもんだ」と答えた。

ハウスメイトは完全に取り乱し「何っ、僕に内緒で二度とこんなことをしてくれるなっ。度胆を抜かれたとはこのことだっ!」と叫んだ。とはいえ彼もまた、非物質化されてはいても、船からこの部屋の中へ投射されている意識、とでもいうような知的生物がいるのを感じることはできた。

彼と私が居間へ移ると、宇宙船も家をぐるりと回って私たちの後を追い、グランド・ファーざーー・マウンテンを見下ろす大きな見晴らし窓まで来た。そのときまでにETたちは友人の恐怖を察したらしく、宇宙船は後退して谷間の上空へ移り、シュッという音を立ててグランド・ファーザー・マウンテンの上空へ稲妻のように飛び去った。

まさにその翌日、ノースカロライナ、シャーロットのダグラス空港のレーダーが二機の宇宙船を探知した、とラジオや新聞が報道した。スヌーピーと呼ばれる警察ヘリコプターが宇宙船を追尾した。宇宙船を目撃した集中地点が、シャーロット市内の私の生まれ育った地域であることを聞いてびっくりした。交信儀礼の、意識による無電誘導で彼らに示したスポットである。

これら二機のET船のひとつが確かに警察ヘリコプターに接近し、またイースタン・エアラインズのジェット機にも接近した。こうした情報は航空管制等によってすべて記録されており、第五種接近遭遇(CE―5)と確認された。

数年後、連邦航空局からこの出来事のオーディオテープを入手した人が、そのテープを私にもくれた(テープは「地球外文明研究センター」の書庫に保管されている)。テープの書き起こしによると、ET船のひとつは消えてしまい、もうひとつは北西方向へ飛び去るのが目撃され、追尾された。北西は私のいた山岳地帯である。実は、北西へ飛び去った一機が私の窓辺にあらわれたのだ。

したがって、これは興味深い初期のCE―5と言える。なぜなら、私以外の目撃者―不運なハウスメイト―がいるだけでなく、レーダーで探知され、民間航空機のパイロットに観測され、しかも警察ヘリコプターに追尾されているからだ。

率直に言って、私はしこたま驚かされたし、この出来午後が公表されたことにはいささか当惑ぎみだった。「うおー、これは大変だ!正式プログラムをつくるまで二度とやるべきじゃない」私はそう思った。そして実際に、一九七七年から一九九〇年まで実行することはなかったのである。その間にわたしは「地球外文明研究センター」を組織した。